
三十年ぶりに登別へ向かった。人生の中で、札幌から新千歳までの線路はくりかえし往還したが、千歳の先へ行くことは、本当になかった。
十二月の終わり、千歳を抜けると雪は消え、春先のようななだらかな草地があらわれて、馬が黒く歩むのが見えた。王子製紙の煙を見上げて過ぎると、濃く青い海が際限なくまっすぐ走り続ける。こうこうと鳴くような冷えた広漠さ。生命の気配をどこか押し殺すような太平洋だと気がつく。この海岸線は内地など見てはいない。北米まで、日付変更線を越えていった暗く長い海の上空を思い出した。そう、同じ海だった。南を何も期待していない海。
登別はその海岸線にある不思議な地だった。ヌプルペッは濃色の川の意で、白濁とも、霊的な力の濃さをあらわしているとも言う。温泉街の谷は全体が雪を帯びていたが、吹き出す硫黄の臭気にあちこち熱を感じる。
温泉街から小高く登る山の上に、クマ牧場は変わらずあった。昭和らしい観光施設がその始まりとは言える、だがそこには奇妙な熊への北の情念がある。道外の人間ばかりが訪れるのではなく、北海道の人間が訪れ、そして間近に熊と顔と顔とを合わせ喜ぶ。明治から変わらず北の生活を脅かす熊、けれど北海道の人間は熊を憎むことはない。出会うわけにはいかない、でも本当は、その姿を見たいと思っている。
世界的にも例のない羆の多頭飼育で育った熊は、野生の熊とは違うところは多いのであろう、けれど熊は熊で、密度の濃い生命感に満ちた重い巨体をゆらし迫る。吐く息は真っ白く、手袋なしではたちまち指が赤く痛くなる、そうした零下の雪の中で、金色に透ける毛は深奥まで黒く温かだ。人間にはひとたまりもない、その生命の力の存在は、出逢えばただ、引きつけられる。キムン・カムイ。
飼育場のある山頂からは、雪の底に倶多楽湖の湖面が青い石のように見える。あたりは北の裸形の樹々、清冽な空気が流れ、アイヌのチセが建っている。登別は知里真志保、知里幸恵ゆかりの地でもあった。萱野茂らが建てたという小さなコタンは、人は誰もいないが、はっきりとした生活の呼吸があって、チセを葺く茅の銀灰の色が、さえざえとした雪と空の青に美しい。樹々の向こうに太平洋が白く輝く。生活の道具は一つ一つ端正で、冬の森の樹皮に宿る色の変化を思い出す。
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アイヌの人々は自然の美しさ、ということをあえて言わなかった。近代の作家が、画家が、身じろぎできないほど引き込まれ、描き続けた裸形の美は、かの人らには変わらぬ静かな世界であった。
ここにあるのは生活であって、生である。北方は、降りつもる氷雪とともに生命全体が沈められていく。人の存在は、青い雪原に落ちた赤い血と同じように、時折あらわれて、また原生の森が続く。雪の下の生命、一斉に芽吹く生命、食べる生命、食べられる生命。自然をあえて観賞する必要もなかった。それは近代を経た人間が思い描く芸術とは隔たっている。隔たっているが、我々は帰還の夢を見る。
直接経験の回復、それがくりかえされる芸術の本願のようである。間接経験にとじこめられた私たちの感じ方は長い逼塞の果てに、間接経験を引き裂いて直接自然に触れようとする。その時人は血にまみれながら、ひとり個人として産まれ出て、赤い糸を引いた瞼をひらき自然に見惚れる。そうしたどうにも孤独な歓喜が北方で鮮やかな近代の芸術をひらくのだろう、今はよくわかる。
そしてまた今思う。その先はどこへ行くのか、進んでいく先に、見惚れるほどの距離も自然との間に無くなっていき、私の精神と原野が寸分たがわなくなって、ただ自然がくりかえされる。それはあるべき存在の浄福のような気がする。でももう、芸術と呼ぶものではないのかも知れない。芸術の終わりはおそらく、自然そのものなのである。
私たちが自然に直接触れるためには、個人となる賭けが必要であった。でも私というものは、明滅してやがて消えていく。個となった時、誰もがその寂しさを悟らねばならなかった。種としての生命の流れに抗するようにあらわれた個人、個人を救うのは結局は、断ち切ろうとした歴史だろうか、それともあの自然なのだろうか。
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登別に行ってから、知里真志保の言葉を読むようになった。先鋭化した近代の知と個性。近代知識人の筆頭となる力が明らかにそこにあった。彼は間違いなく近代の知性で世界を見た。学問、それは人間が死んだあと、続く人間が拾ってくれる、そう願う救済の夢である。私が死んでも、歴史は続く、だから寂しくはない。けれど彼は北方に帰った。
帰還は運命ではなく、彼の選択だった。私もまた、内地に流れ出た北方の人間であり、帰還の夢を持つ者である。内地の学知で世界を見て、ものを書き記して残し、どこか死後の世界を歴史において思い描く思想が自分を形作っている。図書館の底に著作をおさめ、いつか誰かが読むかもしれないと小さく言い聞かせ、短い人生を慰める。けれど冬至が近づき瀬戸内の夜も仄暗く冷えが締まっていくと、北方が自分を呼ぶのがわかる。雪の斜面に黒いひとつの影。羆は何も残さない。二つの精神、二つの夢、一人の人間に二つながらに宿ることがあるのだ。
(2025.9 『琴線』第3号)
