文芸誌『琴線』のこと

 二〇二三年の秋、自分のゼミ生と、文芸誌を発刊した。ゼミ生たちが『琴線』という名をつけた。やさしく繊細な精神から出てきた良い名だと思う。

 同人誌というのは、純文学の理念ではとても大事な意味があって、対価のない純粋な創作の動機を守ろうとする、静かな牙城とも言える。自分の作品は売り物ではない、商品棚に並べるようなものではない、そういった矜持が、どれだけ創作を守ってきたか、夢のようにしか思い描けなくなって久しいが、今の若い世代にとっては、それがかえって信じられる価値観のようである。文学の商品化に身をゆだねて、「社会」と骨絡みになろうとする実践は出尽くし、特段新しいものを生み出さない。むしろ上の世代が生み出した狂騒の中にしらじらと残される、ものさびしい人間の顔に、若い世代はひとりひとり向き合っている。

 私は歴史を学びながら文学の道に入ったが、思想の流れにおいては、古代からくりかえし、隘路に入っていく時期というのが数十年単位で存在する。結局は本道になりえない、大きな人間の精神の歩みになりえない、そういった隘路にとらわれて、隘路の中で複雑な建築を行う。狭さの内に複雑さを重ね重ねたそれは見事な構築物には違いないが、行き止まりのその場所に人は住み続けることはできない。自分たちが賭けたものが、隘路とは誰しもが思いたくないし、自分たちの歩みこそ本道と思いたい、しかし隘路であることは、酷な事実としてあるのだ。
 私は純文学の精神というものは、隘路ではなかったとやはり思う。百年経って、私たちが重ねた新しい精神もまたある。純文学はその精神も抱き込んで、さらに新しいものに進んでいける力があると感じている。

 まっすぐに向き合う、それは面映ゆい行為なのかもしれない。しかし、我々の世代が面映がってくりかえした倒錯的ポーズ、そこに権力まで隠微に入り込ませてしまったポーズこそ、時代を経れば深刻な恥ずかしさをたたえている。時代は、人間を狂騒に巻き込むけれど、最後のところで、自分が一人生きて、死んでいく、という事実を突きつける。そういう逃げ場のなさこそが、どこへ行っても立ち現れるのであれば、逃げずにそこから語るしかないと思うのだ。ポーズの余裕などない懸命さが、変わらぬ文学を生む。
 北の芸術と、瀬戸内で生まれつつある新しい文学と、長らくの文学への疑惑は静かに止みつつあり、もう一度私を前に向かせている。

『琴線』創刊号 二〇二四年 九月

 

創刊に寄せて 
 

   

 有島武郎は、「生まれ出づる悩み」の中で、このように書いている。

こう思ったままを書きなぐった手紙がどれほど私を動かしたか。君にはちょっと想像がつくまい。自分が文学者であるだけに、私は他人の書いた文字の中にも真実と虚偽とを直感するかなり鋭い能力が発達している。私は君の手紙を読んでいるうちに涙ぐんでしまった。魚臭い油紙と、立派な芸術品であるスケッチ帳と、君の文字との間には一分のすきもなかった。「感力」という君の造語は立派な内容を持つ言葉として私の胸に響いた。

 北海道という辺土で、偽ることのできない強い自己と信念を通した作家が、貧しい漁師の家に生まれた画家志望の青年と出会う。青年の絵と、言葉の力はひとつになって有島という作家の存在の中心に届く。

 有島武郎という白樺派の作家が世を去ってちょうど百年。『白樺』が終刊になってちょうど百年。彼らのあり方は過ぎ去った時代の人道主義とも理想主義とも語られるけれど、彼らが人を深く尊重し、自分自身でひたむきに文学を芸術を高めていこうとした道すじは、私たちを何度でも立ち帰らせる。彼らは自分のために書く。社会に認められるために書くのではない。そして彼らには真に大切な読者がいる。同じ芸術の道を行く、書き手、作り手。それぞれ孤独な、でも、同じものを目指す仲間。

 有島のいた北海道から流れ出た私は、縁あっていま、岡山の就実大学で、ともに書きたいという若い人たちの表現の形を作ることになった。私がではなく、かの人たちが作ったという方が正しい。もっと言えば、これまで長く就実大学で書いてきた人たちがいて、生まれてきたものでもある。

 それは岡山という土地がなければ出会えなかった文学である。創作者の運命ということが、土地とともに思われる。同じ白樺派の、そしてもっとも大切な小説家の一人である志賀直哉は、尾道で「暗夜行路」を書き始め、その物語の行きつくところを大山にした。ほかの土地の人は気がつきにくい、岡山からの瀬戸内の道すじ、山陰への道すじ。私たちはしずかに同じ呼吸を感じることができる。文学の強い思いは、この地にもたしかににじんでいる。

 詩は機会詩でなければならないとゲーテは言った。文学は幻のような言説の世界にあるのではない。「私」の人生の、この不思議なとりかえのできない一つの機会とともにあるのである。

 この雑誌の創刊の機会にめぐりあえたことが、私は嬉しい。そして何より、書き手たちの喜びであればよいと思う。

(2024.3)