羇旅

 ここにいても、何処かへ向かっている。絶えず次の地へ行こうとしている。そういう衝迫がいつも静かに満ちている人間がいて、だから目の前の光景はずっともの悲しく映りつづける。別れたいのではない、失いたいのではない、でも私はどうにもならず運ばれてゆく。自分で選んでいるはずが、自分で選んでいるという気がしない。運命の輪は、車輪が描かれる。人をのせて、どうにもならず命の終わりまで運びゆくもの。ゲーテが、マリーエンバートを発った馬車で、別れの悲歌を書きつづけたあの感覚。身の内に大きな車輪が回りつづける。

 私たちはどこにいる。どこでもない場所にいる、と言えるほど、私たちは肉体を失ってはいない。横たわり眠る、この地、手をのばして口にする、この地、私がたしかに身をころがして生きる土地はある。だから近代を経て百年以上にもなるけれど、私たちにはまだ、土地を失う哀惜がある。

 家にてもたゆたう命 奥処知らずも 折口信夫はその歌を強い寂しさのもと愛したが、折口が終生かけて語り続けたかそけき道行きは、変わらず私たちのなかにうち続いているようである。

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 週末の夜の新幹線は、埃っぽい倦怠感がおりている。多くは単身赴任先から帰ろうとしているのかもしれない、自宅に帰るという安堵はどこかなりをひそめ、黙した不安が宿っている。言葉少ない疲労の向こうに、この仮住まいと旅はいつまでいつまで続くのか、くりかえしひきちぎられそうな速度で身を乗せている自分は、いつか霧散してしまうのではないか、そもそも自分に自宅なぞあるのだろうか。あったのだろうか。家は買った、自宅は定めたはずだ、でも四十も超えてくると、いま、かつての実家が、誰も住めなくなって、とり崩して土地さえも手放すことを目の当たりにしているではないか。終の棲家というゆめは実際、ゆめにすぎない。

 令和年間の人間も、半分は、控え目にも生まれた土地が好きだと言うだろう。私たちは、心中願って生まれた土地を出ようとしたわけではなかった、それが何かにからめとられるように、その土地を離れて生きていく運命になる。
 太平洋戦争の前夜に、知識人層の喪失感が悲しく歌われたが、近代の西欧化された知と消え去る土着の狭間に落ち込んだかのような浮薄さに身を傷めた萩原朔太郎らと、私たちは同じものを共有しているとはもう言えないかも知れない。ある種の研究者層、知識人と言うのももはや違うだろう、そういう多くが、薄ぼんやりした学知の仕事に就くために、地方から中央に行って、そうしてあとは求められるがままに、縁もゆかりもなかった地方で仕事に就いていく。故郷から離れて、中央にいるわけでもなく、見ず知らずの土地で、永住するのかもまるでわからず生きるのである。地元での就職を願って得たはずが、ひょんなはずみで何処かへ転勤となる他の職種と正体は特に変わることもない。その運命を自分の学知の名誉ある咎と慰める自意識だけが意気地なくにじんでいる。

 強い人たち、時代の非凡な達成者たちも気がつけば不思議な流浪をくりかえす世界になっている。この三十年くらい、日本では急速にサッカーが広がって、サッカー選手は無数の子どもが思い描く人生の夢になっている。国よりも資本よりも、都市と、いわば土地と結びつくチームスポーツという思想は、EUの挑戦の時代ともかさなりあって、日本でも明るく広がっていった。しかし土地に根ざすと言いつつも、ある土地で育った選手は、その卓抜さから求め求められ、多くの他の土地のチームを渡り歩くことになる。二年三年で次々土地をうつる人間は珍しくもない、見渡せば日本だけのことではなくて、世界的な選手こそが言葉も知らなかった国の土地土地へ移り続ける人生をたどることになる。彼らはホームとアウェイの往還をひたすら日々とし、そうして至極あっさりとホームを失って、いつまでいるかわからぬ新しいホームでふたたび寝起きするのである。芝の上を走る感覚とともに、果てしない移動の記憶がおそらくは彼らの身体には刻印されていくのだろう。彼らの終着点もまた、私たちと同じく見えないものに違いない。

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 私たちが土地を失っていく感覚は、今世紀のものであるか、土地を失う運命は今世紀特有の誉なのか物悲しさであるか、それはまだわからない。近代の激しさを一心に浴びてあちらに振れこちらに振れ、精神も深刻さと軽薄さを行き来しながら、今静かに思い返されるのは、意外に変わらない人間の行き暮れの道のようにも見える。

 かぼそさをたぐってきた日本の文学は、そうした寂しさをいちはやく悟っていた感がある。散文で描かれる人間の物語、小説という文学の不思議な成立の早さ、近代に目覚め散逸していく私たち人間存在を、日本の歌ならざる歌は捉えてきたはずだ。百年単位で凝縮される誰かの名だけが理念になりうるとすれば、この私は決して理念には成り得ず、誰もかも理念から遠ざかり遠ざかり散逸していくしかない。私たちの生こそが散逸の旅であり、生まれてから死ぬまで天離る運命をたどっている。

 天離る、という言葉は、敬愛する、短歌の加藤美奈子先生が良い言葉だと教えてくれた。中央から下る人間の寂しさこもった言葉でもあり、また天離る力のある自身の精神の強さをにじませた言葉のようにも思える。人間は個を超えて私をとどめるかに見える理念を求め、脈々と続くかに見える中央の歴史に残る願いをふりかざしながらも、散逸することをよしとする覚悟もある。日本の文学はその散逸の力とともにあったはずだ。それはずっと、名も無き人の羇旅歌である。

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 私は北海道の出身で、近代文学の終わりが喧しく語られるころ、それを少しも知らず、北方の大気の中で、近代文学に出会った。もっと文学を得たいと思って、夜景のようにぼんやり浮かぶ南へと向かった。中央に文学があるように思ったのである。大学で内地に出てから二十五年ほど経ったが、今は文学は遠くへ遠くへ行こうとするものだと理解している。遠ざかる文学の力、最良の辺土性は北海道で長く持続されていたのであろう。自分はおそらくは北方に遅れて芽を出した、近代文学の残滓である。それとともに、日本文学の羈旅性が氷紋のように北で鋭く広がっていくのを感じる人間でもある。自然の前で、代々の土地も、墓も何も所有し得ない世界を知っている北方の人間は、最初から帰る人間の土地は持ち得ない。有島武郎が私有の土地を放棄したのは、北方の力もまた、どうにも大きかったはずだ。その信じるところを、北方の自然が後押ししたのである。

チェーホフにとっては、サガレンへ行ったというそのことが重大なのである。行ってどうしようという目的や、行ったことによって生ずる結果などは、どうでもよいことだったにちがいない。…その情熱は文学的事件に於いてのみ見られる情熱であった。…彼の情熱の燃やし方は実に、文学的創意に燃やしたと同じ種類のものだったのである。

(高見順「チェーホフは何故サガレンに行ったか」)

 高見順は、チェーホフのサハリン行きをこう語る。終わらぬ羇旅の中に身をおきながら、生きていく、書いていく。常住の地はなく、歴史を願わず、かぼそく鋭く生の旅を続けていく。そういう文学は、ひそやかに、しかしたしかに道がひらかれている。

(2024.3)