北の芸術

 凍原という言葉、凍土という言葉、寒帯林であるとか防風林であるとか、北の原野につらなる言葉は、絶えず北方の人間を惹きつける。それは南の人間がおそらくは感じるであろう薄暗い不安の言葉ではない。寒さは光であり、樹勢は律動であり、かがやく雪雲がもたらす色彩は極北の鋭さをみせて調和する。自然は見事に自然だけで美を形成し、人の存在は特に関係がない。雪の結晶がそれ自体美しいように、ここには純化された抽象さえそのままある。

 
 人の介在しない美。しかしいつもその美はひらかれ、目も体もいたるところで息を呑む。トタン屋根に積もる夜明けの結晶、ゴム長靴をすべり落ちる雪片、雪山の上に散らばる赤いナナカマド、凍った教室の窓から美が押し寄せる。

 草野心平が、山野を歩く宮沢賢治が、もう褒めるひまなどない、と語っているのをこの詩人の本質として語っているが、それは同じく北方の精神のあらわれである。北方の詩人である宮沢賢治と草野心平と。彼らは東北の人間の運命もまた負っているが、北海道の人間と同じ精神を共有している。

 札幌にいた高校三年の頃、祖母の死に際し、どうにも私が求めた言葉はそういえば『春と修羅』だった。直接的に身内の死をかさねたのではない。宮沢賢治のあの北の自然をとらえる言葉が、ひとりの人間の喪失というものを知った私にとって一番欲しい言葉であった。宮沢賢治の言葉はいつも北の自然を前に現実で、その美しい自然に言葉が到達していくことが、不思議にささえだった。

 内地にいると、人間の美と自然の美が等価であるような、ともすれば美は人間の意識だから、人間の内にしか美がないかのような言説が当たり前のように語られる。しかし北方の人間にとって、自然はつねに圧倒的に強く、圧倒的に美しく、精神においても人間と自然の力関係がくつがえることがない。北の自然はただ強く美しく、人間など無いかのごとくだが、にもかかわらずその自然は人間をつきはなしてもいない。自らを見せようとしているのも自然なのだ、ゲーテはそういうことを言っているが、自然から誘われて芸術にふみこむのも、また北方の人間の宿命にほかならない。その芸術的行為の行き着くところはおそらく、芸術としての大成ではなく、北の世界での生存と生活ということであり、終局は北の自然への霧散なのだろうが、そういうことを知っている精神の存在は、人間として、一度は考えられてよいだろう。それは北に行き着いた人間の賭けがもたらす光芒なのだ。

(2024年1月)